世界最速配信!!考える事を楽しむ。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
と言うわけで、世界最速で配信されました。
予想外のスピードで完結してしまいました。エヴァ。
前回は、ネタバレを極小で自分なりの答えを証明しましたが、配信されたと言うこともあり皆んなが手を取りやすくなったと言うこともありネタバレしながら自分なりの答えを解答しようかと思います。
簡単なあらすじです。
西暦2000年9月13日に起きた大災害「セカンドインパクト」によって世界人口の半数が失われた。
その15年後の西暦2015年、主人公の14歳の少年『碇シンジ』は、離れて暮らしていた父『碇ゲンドウ』に突然呼び出され、巨大な汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン(EVA)初号機のパイロットとなって第3新東京市に襲来する謎の敵『使徒』と戦うように命じられます。
『使徒』を倒さなければ過去の大災害の様に『サードインパクト』が引き起こされてしまいます。
当初は父から認められたい気持ち、そして零号機パイロットの『綾波レイ』の傷ついた姿を目の当たりにし、正義感から仕方なく初号機に乗りこみます。
『使徒』との戦い、そして周囲との交流によって次第に変化していきます。
新たにドイツから来日したEVA弐号機のパイロットの少女『アスカ』が仲間に加わり、彼らは次々と襲来する『使徒』に立ち向かっていきます。
と言うのが主な共有の物語になります。
それ以降は、新旧でストーリーが細かく変化しているので明確にはここであらすじを止めました。
さて『エヴァンゲリオン』完結いましたが、
皆さんはどう考えましたか?
個人的には、前回もお話ししましたが、今も変わらず『旧シリーズとまんま一緒やないか!』と言うオチでした。
新旧共通するのは、『人としての可能性』『自らの可能性』に気づき世界を新たにやり直す。
という内容だと感じていました。
そしてそれは今回でも当てはまるというか
まんまなんですよね。
一部人を増やしたり、人を救済したりと一部は違えど向かってる未来やメッセージは、余り変わってないんですよね。
変化しているのは、『製作者の意図と精神、環境』な部分です。
ある意味そこが理解しにくくしている要因でもあるんですがね。。。
本当今も昔も自分を伝えるのが得意じゃ無いんでしょうね。
その前にシンエヴァンゲリオンのあらすじに入ります。
序盤は、復興に進む人間の素晴らしさや可能性に触れていく物語になっていました。
その中で『黒波ちゃん』が人の様に変化していく様子が印象的に残り、そして『綾波は綾波だ。』からの回収されていきます。
その後変化していく『シンジ』がもう一度自分の役目に向き合って行きます。
ここまでの流れについては、テレビシリーズ伝説の最終回、『おめでとう〜ありがとう』でやりたかった人として生きていく事に向き合っていくパートだと思います。
そして皆が考察している内容や疑問視している点は、おそらく『アディショナルインパクト』以降の完結までの流れなのでは無いでしょうか?
まぁ旧で考えれば『人類補完計画』の様なパートになるんですかね。
その実行を碇ゲンドウによって進められて行き、父のしでかした落とし前をつけに初号機に乗り込むシンジくん。
さぁ始まりましたよ。『庵野秀明ワールド』
全ての始まりの地、マイナス宇宙やらやたら御託が並べてられますが、簡単に言えばインスピレーションの世界、仏教で言えば『識(無意識)』の世界ですかね。
それ故に自由で縛りもなく子供の様に瞬間移動を繰り返しております。
それをシンジくん頭容易くお父さんの元に向かいます。
話し合いの末、人類の可能性を見出し、全てが幸せになる道をシンジくんが導く。
というのが簡単な後半のあらすじになります。
そんな一連の中『死』と『生』に向き合っていく中でシンジくんは、前向きになり人との繋がりに気がついていく訳でもう人類は補完されない未来が確定してるんですよね。
そして皆さんが恐らくこんがらがっている要因は、『碇ゲンドウ』『真希波マリ』『式波アスカ』
それぞれの役割が鬼門になっている様に感じました。
そう感じる要因は、友人に感想を聞いた時に感じたからです。
なので各キャラクターの役割について述べながら宗教のお話でもしようかなと思います。
まずは『碇ゲンドウ』について触れます。
彼の人となりですが、コミュニケーションが苦手な人間です。
それ故に、本編内でピアノと本が好きと独白しているのでわかっていると思いますが、更に分身として作品に登場している人物が『渚カヲル』です。
でもどうして?となるのが当然かと思います。
自分でも初見では理解しきれなかったです。
(通常カヲル座り)
確かに13号機がカヲルくんと同じポーズで待ち構える碇ゲンドウの図、ピアノ。ヒントは、無数にあったんですけどね気が付かなかったです。
そんな中で公式の薄い本を見返した時にピンと来たんですよね。
父がピアノを弾き、足元で寛ぐカヲルくん、そこで戯れるシンジくん。
この絵を見た時に同一だったんだとゲンドウの父の親としての愛を感じたんですよね。
カヲルくんは常にシンジくんのためにピアノを弾き心を癒やしてくれます。
恐らくユイを失い捻くれてなければ、この様なことをしてあげたかったんだと思います。
つまりこの一枚はエヴァが無い世界の『碇家』の一枚だったという訳です。
その中でカヲル君がいるのは、何故?となると思います。
その理由は、旧作から語られ続けていました。
ゲンドウは、常にシンジを拒絶します。この存在を『黒ゲンドウ』とします。
そして常にシンジ肯定し続けるカヲルを『白ゲンドウ』とします。
ゲンドウは常に愛しているのに愛していないと語るライオンの様な父親です。故に強くなれと語ります。
そしてゲンドウがこの計画の為に切り離したのが優しさの精神白ゲンドウでした。
その結果として対極的な人物として『渚カヲルが生きていたんですね。
それ故に13号機には、『渚カヲル』と『碇ゲンドウ』が2人でなっていた(人物の同一化オーバーラッピングというんですかねこの作品だと。)という訳なんですかね。
それ故にゲンドウの下車、カヲルくんが座った座席は、ゲンドウが座っていた席なのでしょう。
それを考えるともう一つ似た様な人物がいます。
それが『式波・アスカ・ラングレー』です。
終始自分は使徒だと考えている彼女は神が伸び続ける事に啖呵を切っていましたがマリは、人間と語っています。
そんな彼女が13号機に取り込まれるシーン。
使徒化したアスカを取り込む事が役割と語っていますが、それだけじゃ無いと感じています。
それはあの取り込みの瞬間こそがオーバーラッピングの瞬間だと思います。
そう考える理由は、ラストの駅のホームのシーンに繋がります。
駅のラストシーンは、カプ厨が悲鳴を上げておりますが、そんなシーンじゃ無いんですよ。
駅のシーン、ホームが分かれているのには意味があるからです。
シンジくんがいるのがシンエヴァンゲリオンの世界を意味していて、
逆に奥側のホームは旧劇のホームを意味していると思います。
カヲルとレイが一緒にいるというのは、エヴァンゲリオンが無く、リリンとアダムが争わなくていい世界である事の意味と差別の無い世界に作り替えられたという意味になります。
そして1人でいる『アスカ』です。
何故1人でいるのというのが味噌なのですが、旧劇でのラストは、シンジと一緒に居ましたが、このホームの時シンジは向かいのホームに居ます。
つまりは、つがいが居ない構図になります。
そしてもう一つ何故旧劇が唐突に現れるの?となりますが
あの取り込みのシーンこそが、『式波』と『惣流』がオーバーラッピングした瞬間ということとなると思います。
それ故に魂が回収される時にキーアイテムの赤い人形が登場する訳です。
旧劇では共依存の関係で同じ痛みを抱えて好意を持ちつつも素直になれない2人が補完後の人類を作るエンディングでした。
しかしアスカが本当に幸せになれる方法は、ケンケンの様な人間が相応しいのではないしょうか。
愛される事を恐れた女性を癒やし献身的に務めた先に彼女は気がつくのでしょう。
それが人形の着ぐるみを脱ぐシーンになります。
そして海のアスカとシンジのシーン。
まさに若い失恋のシーンですよね。
ケンケンといる事がアスカの幸せである事に気がつくシンジは、アスカに想いを語ります。
あの時にアスカは、1人になりケンケンを見つける、迎えを待つ未来に書き換わったのでしょう。
そしてアスカは回収されて行きました。
個人的にシンエヴァンゲリオンで一番感動させられたシーンでした。
因みに回収のシーンなんですけどゲンドウ→アスカ→カヲルの順に回収しているのも
ゲンドウからのカヲルだと、アスカが救われ無いからこそこの順での回収になったんでしょうね。
そして『真希波マリ』
彼女は一番謎が多いと考えられていましたが、
一番純粋で一途な存在でした。
彼女の生い立ちは、『貞本版エヴァ』で語られました。
飛び級で大学に入り、ユイやゲンドウと共に学んだ同期の人間です。
そんな彼女は、ユイが好きでした。
その思いをユイに伝えた時に普通なら気持ち悪がられると思うところを受け止めてくれました。
その時にユイに眼鏡と髪型をセットしてもらいます。
そのトレードマークは、シンエヴァンゲリオンまで引き継がれて行きました。
つまり彼女は、ユイとの想いや約束を一途に向き合い続けた人でした。
そして彼女が幸せになる為に必要な事は、『ユイの幸せ』なんだと思います。
ユイの幸せとはなんなのか?
それは母としての『子の幸せ』と思います。
そんな彼女の役割は聖母マリアだと思います。
その理由は、エヴァンゲリオン自体が神話から成り立っているからです。
初期のオープニングしかり、方舟の話、知恵の実と生命の実、ユダなど何かと宗教のお話が出てきますが、それを踏まえるとマリというキャラクターは、
キリストの母親である聖母マリアであり、伴侶となるマグダラのマリアが役割だと考えます。
ユイの代わりに母の役割を成し、神の子である『碇シンジ』による審判を見届け、最後にリアルの世界へシンジと共に歩んでいく構図は、神話の通りでしょう。
そしてイスカリオテのマリアと呼ばれた点は、
まさにゼーレやゲンドウを裏切り母を歩んだ彼女への手向けの言葉だったのでしょう。
と言うのが人物的要因で誤解を与えている点だと思います。
そして皆が考察する『アダムス』について
前回もちらりとお話ししましたが、
アダムスは、方舟とも呼べますがどちらかというとエヴァと同等と考えていいと思っていて、
自分は、エヴァシリーズ含め人の創作物の総称と思っています。
それ故に、エヴァンゲリオンに出てくるアダム(光の巨人=ウルトラマン)である様にエヴァシリーズもそういった創作物の総称と考えます。
故にエヴァをどうこうできるのは、神である『シンジ』であり、『ゲンドウ』であり、『庵野秀明』なのでしょう。
そしてマリによって言われる『リリン達に使われる事のないようゆっくり眠りな、アダムス達』と言う台詞も納得の形で補完できると思います。
まぁその理由は、知恵を持った人間=リリンという事に対して察しが良い人は分かるのでは無いでしょうか?
ある意味でみれば、アニメや実写などの物語全般の制作者への込められたメッセージの様に感じます。
エヴァンゲリオンは、終始『シンジ』の内面を描き続けます。
それは『庵野秀明』自身の心の中を描き続けている事でもあると思います。
だからこそ、わかりにくく複雑な物語になり、最終回で庵野秀明は、答えを出しても視聴者には届かず、旧劇は、幸せな道として認知されなかったのでしょう。
今作では、全員が幸せになれる道が描かれていて遂に完結してしまった事を目の当たりにしてしまう形になりました。
エヴァンゲリオンは、確かに完結して『さよなら』を迎えましたが、この言葉に込められたもう一つ意味『また会いましょう』。
この言葉を感じながら『シン・ウルトラマン』楽しみに待ちたいと思います。
自分なりの考察は以上になります。
長文ながら最後まで読んで頂きありがとうございました。
もしよろしければコメントやご意見ご感想頂けますと幸いです。
【シン・エヴァンゲリオン劇場版】
【予告編】
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