普通に生きるって何?『惡の華』
どうもここ数日前に挫折を久しぶりに突きつけられました。
ブログなど有り難いこと興味を持って頂きまして
色々伸びていて嬉しいことの多い矢先に突きつけられました。
元々自分自身が蓋をしていたといいますか、発達障害のような病的な要素を含んでいることは、小学生の連絡帳でも明らかなんですけどね。
それを活かせると信じて蓋をして生きてきました。
しかしながら自覚他社から突きつけられますと心にぶっささりましてかなり心が切なくなってしまいますよね。
まぁ今では気を取り直して目標に向けて何を残せるのか考えたり足りないものを補給しておりました
その中で仮説思考やら色々材料がビジネス書には隠されているわけで
その中に昔から語られている本を読み直しました。
『天才を殺す凡人』と検索すれば出てくる有名な本なんですけど。
似たような本があったなぁって思ったんですよ。
しかも高校時代に周りから否定されながらも理解しきれないけれども惹かれた作品が。
『惡の華』
簡単なあらすじです。
クラスの人気者『佐伯奈々子』に密かに想いを寄せる『春日高男』。
ある日の放課後、出来心により彼女の体操着を盗んでしまうが、その様子は嫌われ者の『中村佐和』に目撃されてしまいます。
窮地に陥り、『仲村』からの無茶な要求に翻弄される最中、意外なきっかけから『奈々子』と付き合うことになり、『春日』は恋心と背徳の自己矛盾に蝕まれて。。。
というお話です。
この作品は、『押見修造』さんによる文学的漫画が原作になります。
他には、ドラマ化もされた『ぼくは、麻理のなか』など、心の中の『コンプレックス』などを描くのが得意な漫画家になります。
そして今作は、『押見修造』先生を有名にさせた作品でもあります。
そんな今作の評価なのですが、
原作コミックについては、宗教的な人気があるので4.3と評価されています。
アニメ版に関しましては、敢えて割愛します。
理由はちゃんと完結していなかったからという点で敢えて触れません。
良かった点を挙げるとなれば、『ロトスコープ』を使った作画方法が良かったです。
因みに悪かった点は演者の芝居がとにかく酷いです。
折角の『ロトスコープ』をドブに捨てる御芝居には吐き気でした。
そんな私は、そっと1話で視聴を辞めました。
そして実写映画では3.2と言う評価がされているようです。
内容を見てみると
・わからなかった。
・漫画も読んだのですが映画で改めて観てもいまひとつピンとこなかったです。
・もはや普通人間になった俺にはなんのことやら。
・何故。春日が悪魔のような中村さんの言いなりになるのかが分からない。
と大半が分からないという声が殆どでした。
まぁ当然の事のように感じます。
高校時代の自分もこの作品を理解出来ませんでしたから。
むしろ理解出来ないのが当然な位です。
人の心の闇が色濃く描かれているからです。
何故なら普通の人は、歪なものを受け入れられないからです。
自分は歪だと思いたくもないですし、思われたくないです。
だからこそ理解や受け入れが出来ません。
そんな今作を理解する為には、主要な3人『春日』『佐伯』『仲村』の人物像を理解する事が大切です。
この3人因みに其々三者三様の歪さを抱えています。
その歪さを理解していきましょう。
まずは主人公の『春日』です。
彼は、難しい本に触れて自分は他とは違うと思い込んでいる痛い普通の中学生です。
しかしその本質にあるのは『アガペー』です。
日本語的に表現すれば『無償の愛』と言われるものです。
まさに『共感能力』が非常に高い人物でした。
その理由も難しい本を読んできたからこそ得られた『能力』だと思います。
その能力こそが、『仲村』や『佐伯』という人物を惹きつけたのだと思います。
そして『佐伯』です。
1番まともそうに描かれていますが、
個人的にはこの作品で1番歪な『サイコパス』だと思っています。
何故かと言いますと誰にでも愛されるように振る舞える人物なんです。
計算的なやり取りをしている人物なんですよ。
まさに『秀才』です。
そんな彼女が『春日』に惹かれた理由は単純です。
損得では無く『仲村』を庇った行動に惹かれたからでしょう。
計算ではなく私という人物を『理解してくれる』『受け入れてくれる』
そういう『愛』を求めて居たんです。
そしてついに1番のヘンテコ人物は、『仲村』です。
皆さんにはどのように写りましたか?変な奴でしたか?
たしかに変なのはその通りだと思います。
普通じゃないです。
でもそれには理由があります。
彼女は、他者を『理解出来ない』
そして他者から『理解されたい』
その苦しみに苛まれた人物です。
恐らく障害を抱えた人物だったんでしょう。
それについては、自分が似たような素質を持っているからです。
自分も連絡帳では落ち着きが無いやら集中力がないと書かれてきました。
そんな私と彼女の違いは、特化した部分に気が付けたかどうかによります。
自分の場合は、小学から芸術面に特化して独自で広げて美術部時代では県の美術館で展示されていました。
たまたま自分の世界観が他者と違いという武器に価値が有ると受け入れてくれる人が点々と表れてくれたからです。
それがなかったら中学生編ラストの『仲村』のような行動をとって居たと思います。
そしてこの作品での『仲村』さんの大切な人は『春日』になります。
その理由は、唯一『仲村』という人物を理解出来る人物だったからです。
自分を理解してくれて、受け入れてくれて。
そう考えると中学の時期の出来事、高校での出来事。
全てがわかってくるのでは無いでしょうか?
この作品のテーマは、『理解』と『愛』だと思います。
もし『春日』が『佐伯』を受け入れていればより歪みは広がらなかったでしょう。
もし『春日』が『仲村』を理解出来なければきっとこのような事態にならなかったでしょう。
そしてずっと言ってきた中学生編のラストです。
何故『仲村』は、『春日』を突き飛ばしたのでしょうか?
それは『仲村』は気がついていたんでしょう。
『春日』は、普通に生きていけるという事に。
彼ならば他の人と出会い幸せになる道がある
からこそ自分と一緒にいてはいけない事に気がついたからだと思います。
高校編ラストの『仲村』の反応は、何故という感情と塞いだ嬉しさがあったのでしょう。
そうでなければ彼女は心から幸せそうに笑える訳がないです。
今までの笑いは自分の苦しみと他者への怒りや憤りの現れです。
わかりやすく言えばホアキン版『joker』でしょう。
彼も笑いながら涙を流していますからね。
そう考えると『joker』はYESで『惡の華』は、NOと言うのは可笑しいな話ですよね。
少しでも繋がりや理解が進めば、少しでも『惡の華』優しく眠りに目を瞑れるのではないでしょうか。
というわけで今回はこの辺りで。
『惡の華』
【予告編】